【開催予告】おもカル(第四講) 歴史散歩の巻

【おもカル】早稲田は昔、海だった?!【来春予定】
~予告 vol.1~

校歌の一節に「早稲田の杜」とあるように、今から140年くらい前、我らが母校のある地は、森と田んぼが広がる早稲田村という農村でした。
新宿が江戸市中から一番目の宿場であった名残を残す頃、大隈重信先生がその早稲田村に、東京の喧騒を離れて骨を休める別宅を立てられました。
後に、彼の地を拠点として、政を行う人材を輩出する教育を始められたのが、早稲田のはじまりです。早稲田は文字通り、田んぼの中ではじまったのでした。

では、その前は?

来春公開の映画『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』、その舞台となる洪積世(氷河期)の時代には、今よりもずっと海面が高く、早稲田は海の底でした。
今でいう目白台から椿山荘、穴八幡宮は、周囲に比べて高台になっていますが、これらは当時、海面に突きだした岬だったのです。
毎日何気なく“馬場歩き”をしていた早稲田通りも、よくよく見れば山あり谷ありで、起伏に富んだ地形をしていることがわかります。

そんな地理を体で感じ、歴史に思いを馳せながら、ぶらっと散歩してみませんか。
「おもしろカルチャースタディーズ 第四講 歴史散歩の巻」は、来春予定です。

【開催概要】
・日時:2016年 春以降~
・場所:早稲田・高田馬場界隈
・参考資料:中沢新一『アースダイバー』講談社 2005年
・費用:喫茶代など実費
※申し込み受付は、後日お知らせします。
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※画像は、Ground Interface(http://www.gridscapes.net/)様のデータをお借りして作成しました。


【おもカル】早稲田は昔、海だった?!【来春予定】
~予告 vol.2~
早稲田のそばを流れる神田川。あれは実は人の手で掘ったものだったというのは、ご存知ですか。

大昔、東京の街の大半は、海の底でした。とても長い時間を掛けて陸地になり、海が遠くなってからも、変わらないものがありました。
それは、水。
もともと海だったところは、いくら井戸を掘っても真水が出ることはなかったのです。

関ヶ原の戦いのあと、徳川家康が江戸に封ぜられてから、一番に考えたのが治水でした。
入り組んだ入り江を埋め立てて、運河を整備し、防衛と水運のかたちを整えること。そしてなにより、上水道を設けて、飲み水を確保することが、為政者としての第一の使命でした。
そのひとつが神田川。
昔は「神田上水」と呼ばれていました。

神田上水の水源は、吉祥寺の井の頭公園にある井の頭池、その名の通り「井戸の頭」です。
当時から彼の地には、湧き水が何カ所からも湧き出ていて、その流れは平川という川を形成していました。その平川の流れを、江戸湾埋め立てのための土砂の切り崩しを兼ねた開削によって誘導し、江戸市中まで注ぎ込み、上水道としたのです。
JR総武線には「水道橋」という駅がありますが、文字通り、ここに懸樋(水道管)が通っていたからです。

時代劇を見ると、江戸時代の長屋には井戸があります。
その側でおかみさんたちが炊事洗濯をしながらおしゃべりすることを「井戸端会議」なんて言いますね。
この井戸はそもそも、江戸市中に張り巡らされた水道管から水を汲み上げていたんです。

ちなみに、隣の「御茶ノ水」の地は、もともとの台地なので、湧き水がありました。そこのお水はお茶を点てるのに適した、美味しい水だったので、この名前が残っているそうです。
他にも都内には水に関する地名は数多くあります。
もしかしたら、あなたのお住まいの土地もそうだったりして?
その由来を尋ね歩いてみると、意外なものが立ち現れてくるかもしれません。
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